お侍様 小劇場

   “真夏の狂詩曲(ラプソディ) (お侍 番外編 62)

 

        



 八月に入ってからという、例年にない遅さでやっと訪れた梅雨明けは、ただ“明けました”では終わらず。本来ならここまで上がっているのだよという、真夏の猛暑日気温との入れ替わりをも速やかにやってみせてくれ。近年新しいのが叩き出された最高記録へ追いつきかねぬほどまでも、水銀柱をぐんぐんと押し上げてくださって。アスファルトで大地に蓋をされた都市圏は特に、気化する水を含んだ土や緑が少ない分、その暑苦しさも半端じゃあなかったのだけれど。



 「久蔵、個人でも優勝したんやてなあ。しかも2連覇やって?」

 今年のインターハイ、奈良での開催ゆうのんは知ってたよって、こそっと応援に行こかて言うてたんやけど。競技も山ほどあるんやろ? 剣道て何処の会場で何日にあるんかいな、関西やったらテレビで言うてくれやらへんかなて思うてるうち、
「新聞でウチのあにさんが結果見て、なんやもう終わってるやんかて、後の祭りになってもうて。」
 はんなりとした口調には、だが、きびきびした弾みこそあれ、べちょりとしたしつこさはなく。線が細くて玲瓏な見映えをしつつも、実は今時風の闊達な気性をしている彼にはなかなかに似合い。結果しか知らない身であること、心から残念そうにする彼へ、

 「ですが、あまり頻繁に顔を合わせるのもどうかと。」

 家人の晴れの場に居合わせられなかったこと、そうまで残念がってくれるのは嬉しいけれど。そういったことにも微妙な事情が関わる間柄。それを思えば仕方がないこと、どうか気に病まないでと持っていきたくての言葉を補ったつもりが、

 「そんなん。それこそいちいち意識してたら何んも出来ひんで?」

 それではダメよと、逆にご指摘浴びせられてしまうところは、こっちがおっとりし過ぎか、それとも相手がさばけてい過ぎるものか。黒光りするほどよくよく磨かれてある板の間は、縁側廊下という部分にあたり、背後には真新しい葦草
(いぐさ)の匂いも爽やかな畳の間。そこへと並んで腰掛けて、顔を上げれば眼前に広がるのは緑したたる夏の庭だ。手入れの行き届いた芝草は、離れた向こうは陽あたりがいいのか明るい色合いを放っているが、手前の下生えや茂みはやや濃色のしっとりした緑。スズカケやら楓やら、様々な木立ちもバランスよく配されてあり、まだまだ若い柳の枝が、さわりと吹いた緑風になぶられ、ゆらんとたなびく風情が目にも涼しげ。いかにも落ち着いた佇まいの庭園を見渡せるこちらは、畳敷きの和風であるがゆえの庇の低さが濃い陰を落としているものの、それがため室内に強すぎる陽を導かず。微妙に暗い室内だからこそ、そこから望める庭という戸外の明るさを、一幅の絵のように堪能できるという案配は何とも気が利いている。これが何かしらの作業をする間であれば、微妙に手元暗がりなことが不便だろうが。ここはただ息抜きを堪能するためだけの部屋なれば。天井に据えてあるのだろ照明も今は灯さず、久方ぶりに聞く蝉の声を乗せて吹き来る、心地のいい風を感じながら、

 「…あ、これはコータ殿ですね。大きくなりましたねぇ。」

 そこだけは先進の利器であるノートPCを開いて、まだ十代だろう和子らの写真を楽しげに堪能していた彼らだったりし。やさしげな白いお顔をほっこりとほころばせる七郎次へ、

 「よお覚えてはるなぁ。今んトコ、全員当たりばっかりや。」
 「え? だって、春先に毎年お会いしておりますもの。」
 「そんなん、ほんの一部の子ぉだけやし。」

 最初のほうに映っとったホノカやミズキとは、4年ほど会うてへんのと違うのん? ええ、イギリスへ留学なさってましたからね。

 「随分と見違えましたよねぇ。成長期の子って怖いなぁ。」
 「そいでも、一発で判ってもうたやないの。」

 誰やらさっぱり判らへんてゆう お人が使う言い回しやで、それ…と。呆れたように、それでも目許をやんわりとたわめて微笑った彼もまた、液晶画面へ次々に映し出される若い子らとさして年頃は変わらない。

 『お久しゅう、おシチはんvv』

 前触れなくの突然に、思いがけないメールをくれた彼こそは。彼らとは遠縁の親族にあたる、京都は山科の島田支家の次男坊、如月という少年で。ホクロひとつないんじゃなかろうかと思わせるよな白磁の肌に、つややかな黒髪がよく映えて。切れ長の目許、なめらかな流線で描かれた鼻梁に肉薄で品のいい形をした口許をし。かすかに伏し目がちになっての、じっと押し黙ったまま見上げて来られると、何とも落ち着けなくなるような、どこか妖しい雰囲気やら存在感やらを醸し出せる、不思議な気配をもつ和子であり。七郎次が実の弟のように可愛がっている久蔵と、さして年は変わらぬ筈だが、

 “……そういえば、正確なお年は知らないまんまだな。”

 それってシチさんがうっかり知らないってだけでしょか、それとも誰にもあまねく明かされてないってことでしょか。
(苦笑) …という揚げ足取りが出来るほど、何しろ関西というあまりに遠い地で生活している彼なので、日頃からも 滅多に逢うこともなければ、そうそう頻繁に電話やメールをやり取りすることもない相手。互いの生活が忙しく、且つ、親しいことを表沙汰にはしない方がいい、ある意味で特殊な間柄でもあるからであり。そういう形で避けること自体、不自然なんじゃあないかと反駁するよな言い方、繰り出した如月くんだったものの。そういう意識も必要だという“大人の事情”にも、実をいや しっかりと精通しておいで。こうまで若い身、下手すりゃ青二才どころか“童っぱ”とも呼ばれよう幼さでありながら、島田家の西の総代である人物の、身辺警護を引き受けてもいるという、彼自身も特殊な身の上をしておいでだからで。そんな彼が、折り返し連絡をと寄越したメール。一体なんだろかと電話を掛ければ、

 『久蔵がインターハイの宿舎に忘れてやった記念品、預かってるんやけど。』
 『え?』

 ある意味、立派な奇遇というもの。久蔵ら東京代表が奈良の地で宿舎としていた旅館は、京都は山科の島田支家と懇意にしていた老舗の分館。そんな顔触れが逗留していると聞いて、優勝した剣道部がまだいればめっけものと足を運んで立ち寄ったものの。例のインフルを恐れてのこと、はやばやと帰ってしまった旨を聞き、そりゃあ残念だったと臍を咬みつつ、こんな子ぉがおれへんかったかなんて話を振っておれば、

 『そこの女将がな、
  そうそう、そんな子がいてはった、
  しかも、優勝しやったのに記念品を忘れて行きやってて言わはってな。』
 『記念品?』
 『優勝チームへのメダルやて。』

 個人戦だけやのうて、団体戦でも優勝したんやろ? 優勝盾とは別に、個々人へ贈られたもんやろに、帰らはったお部屋の隅っこへ東京代表○○高校て刻印されとぉのんが置きっぱになっとってんて。

 『名前までは刻まれてへんよって、厳密に久蔵のもんかは判らへんねやけど。
  違ごたら違ごたで、ほいでも同じガッコの子には違いないやんか。
  せやし、そっちの手元で預かっといてもらえへんかな思て。』

 如月くんが供として常にそのお側にいる対象、西の総代の良親様が、懇意にしているお人との面談でこちらに来ている。なので、手渡ししたいからと、最寄り駅までを指定された七郎次。快速を使えばほんの半時もかからぬ場所だとあって、携帯と財布だけを持ってというごくごく軽装で向かったところが、

 「ここが都内の、ああまでご近所だなんて、信じられませんよねぇ。」

 駅前で声をかけて来た如月くんが、肝心のメダルは宿にあると言い出したので。そんな彼に連れられて、ほんの何分かを歩いただけ。夏場の昼間という時間帯だということもあり、人通りもなくの閑散とした、どこにでもあるよな住宅街の一角だった筈なのに。こじんまりとしたマンション風の建物へと入り、セキュリティクロークを通過した先にあったのが…高原の別荘地か、はたまた奥座敷なぞと呼ばれるゆかしき土地か。そんな佇まいの庭園が眼前に広がり、そのままおいでおいでと誘
(いざな)われて通されたのが、この、古風な茅葺き屋根の離れ家だったという次第。格式や何やにうるさいわけではないらしいが、一見(いちげん)さんはお断り、宣伝も打ってはない宿だそうで、

 「一種の隠れ家、いうトコなんやろな。」

 いろんなトコに結構あるよって、勘兵衛様も知ってはるんちゃうやろか。そんな風に言われれば、思い当たることもあったせいだろか。

 「そ、そうかもでスね。」

 一体 何を思い出したやら。微妙に咬んでるぞ、おっ母様。
(苦笑) そんなこんなで、問題のメダルとやらを如月くんが手渡せば、

  ややこんなの見せてもらっていませんよ。
  あ、せやったらやっぱり、これって久蔵のとちゃうか。

 妙なところで“うっかりさん”というか浮世ばなれしてるというか。そういうところがある久蔵なんが、僕としては微妙に腹立つねんけどとは。彼もまた、玲瓏美麗な見映えと裏腹、武道の道を極めんとしている身だからだろか。総代の至近に常にあり、その身を護る“特別警護”を、この年齢で既に何年かこなしておいでの君であり。

 『…まあ、そない言うても。
  良親様はそうそういっつも傍におらんでもええて言わはるよって。』

 現に今かて、どこに行かはったんやら。僕は着いてそうそうお留守番やしと。ちょっぴり拗ねてでもいるものか、腰掛けている板の間へ後ろ手に手をついて、あ〜あとやる瀬なさげに背伸びをする始末。あの久蔵が、彼にだけはいつも本気の殺気まで立ち上げて相対するほどの、こちらものっぴきならぬ練達、天才剣士であるはずが。何とも可愛らしい、いかにも率直な態度を見せたものだから、

 「〜〜〜。」
 「あ、なんや? シチさん。」

 な、なんでもありませんよと、こそこそ口許を押さえた七郎次へ。嘘や、今 童っぱみたいやて笑いはった…と、すかさずの指摘が飛んでくる。あくまでも単なる知己同士の屈託ないやり取りを交わしていた彼らであったが、

 「…あっと、何だか長居をしてしまいましたね。」

 そうそう、ええもん持って来てんねんと。西の支家や分家の子供たちの近況、この1カ月以内にやり取りしたメールに添付してあったのを、ファイルへ集めたという映像を見せてくれていて。各お家々の和子らには、向こうからも慕われているし、こちらからも仲よくしている七郎次。東の和子らには春先にお会いしたばかりではあるけれど、西の和子らには滅多に逢えぬとあって、喜んで眺めていたが、はっと気づけばあっと言う間に小一時間が過ぎている。

 「何や、もうちょっとおってぇな。」
 「ですが…。」

 それほどの遠出ではないけれど、そう言えば今日は久蔵も早く帰ってくると言っていたはずだし、

 「ちょっと出掛けて来ますとしか、伝言を残して来なかったんですよね。」

 すぐに戻れると思ってのこと、いつものように玄関ドアに手短なメモを貼って来ただけなので、なかなか戻らぬとあって心配されているかも知れぬ。そわそわしてみせる七郎次へ、

 「…せやったら、久蔵もここへ呼んだらどうえ?」
 「え?」

 構いませんか? ええて、どうせ晩にならな良親様も戻って来ぇへんし。にっこり微笑った如月だったので、それじゃあと羽織って来た夏向きのカーディガンの裾をちょいと避け、パンツのポケットから取り出した携帯だったのだが、

 「………あれ?」
 「んん? どないしたん?」
 「いえ、圏外の表示が。」

 あ。せやせや、このお宿、携帯掛けたり掛かって来たりを嫌うお人もおるからゆうて、圏外になるような電波流してはるて。

 「ごめんな、言うとくんやった。」
 「あ、いえ。」

 もしかして通じてへんかった間に留守電話サービスへ伝言来てるかもしれへんな。ちょっと待ってや、解除できるよって…と。庭ばきを脱いで居室へと上がっていった如月くんだったが、そんなタイミングと丁度重なって、

 「………おっと?」

 どん、っという、微妙に重い物音がした。至近からじゃあなかったが、ここへと至った距離を思えば、敷地の中という観のある間合いじゃあなかろうか。

 「車…の事故ですかね。」
 「え? そんな音やった?」

 ええ。タイヤが軋むような響きも聞こえましたし、食器棚が倒れたようなあの重々しい音は車が何かへぶつかった音ではないかと。自宅の近所という訳でなし、文字通りの遠い音だっただけに、物見高い性分じゃあない七郎次としては、逼迫した様子は見せないままであったれど。

 “うあ、鋭いなぁ。”

 そろそろ ええ時間やし…と、こちらさんには心当たりが大有りらしき如月くん。肩をすくめてしまったものの、

 「…如月殿?」
 「あ、いやえっと。そうそう、携帯使うんやったよね。」

 不自然な態度はご法度と。結構奥行きの深い居室の中、帳場に当たる母屋へと通じているという電話のあるお廊下へ、出来るだけ自然な足取りで真っ直ぐ向かった彼だった。


   そして………そんなお宿の裏手にては。







BACK/NEXT


戻る